竹内銃一郎のキノG語録

わたしの言うことすること、み ~んなお芝居! 活動の記憶㉝2021.07.04

昨日14時、下京区役所4Fで新コロワクチン接種。心配することなどなにもないとは思っていたが、2週間前に接種したうちの奥さんは、接種後2日ほど体がだるいと言っていたし、北野武も似たようなことを言っていた。が、上腕に針を刺された時はチクッとしたが、接種後一日以上が経過した現在、わたしは痛くも痒くもだるくもなし。
久しぶりの注射うち。何年振りになるのだろう? 記憶にあるのは、歯の治療時に注射をうたれたことを除けば、大学勤務時代の春、健康診断時に血液検査のために毎度血を抜かれていたことくらい? なんて健康なんだ、ワシは。 
さて、本題。93年は9月に、いまはもう無い新宿駅から徒歩5、6分のところにあったシアタートップスで上演した、乾電池の「みず色の空、そら色の水」のみ。全出演者22名、うち男子は4人。以前にも書いたことがあるが、この年の2月だか3月だか、埼玉の某高校からちょっと稽古を見てほしいと言われ、多分、わたしの書いたものをやるからだったはずだが、それがなんだったかもう覚えていない。稽古についてあれこれ話した後、みんなで食事をと誘われて、稽古場として使用していた大きめの教室で楽しい時間を過ごしたのだがその時、ひとりしかいない男子部員が女の子たちの玩具になってるとか、部員じゃないけど時々手伝ってる女の子、競馬大好き少女等々がいて、これ等をネタにこの戯曲を書いたのだった。
この公演チラシには、「日本劇団協議会主催・文化庁舞台芸術創作奨励公演」と書かれている。そうなのだ。劇団協議会の事務方のトップにおられた女性(名前が出てこない⤵)からお誘いがあって、かなりの額のお金をいただいての公演だったのだ。この方は、ある時期からわたしの芝居はすべてご覧になっているとおっしゃっていて、この公演の他にも、やはりこの方が関わっていた「現代劇名作選」という、戦後に書かれた戯曲の上演・演出の誘いもいただいた。当初は安部(公房)さんの「友達」をやろうと思ったが、氏が亡くなった後の著作権管理をしていた娘さんにケンモホロロに断られ、別役さんの「象」を上演。さっきネット検索したら、これは98年11月の公演だったようだ。話が逸れた。
「みず色の~」は、乾電池の若手公演だが、前年の5月にやはり乾電池若手公演として、岩松さんの「アイスクリームマン」が、同じシアタートップスで上演されている。この「アイスクリームマン」は劇の冒頭から終わりまでただならぬ空気が、あえて言うなら妖気が終始漂っていて、もちろん笑いもしたはずだが、ラスト近く、ひとりの女性が男の手で顔に落書きをされたシーンのみがいまでも頭の中に残っていて、いやあ恐ろしい作品だったなあ。
「みず色の~」はこの翌年に、同じ乾電池の若手を若干キャストを変えて本多劇場で上演し、この数年後にアイホールの制作で、さらにその数年後、近大の教員になって2年後にも2年生を使って上演している。多分、4度も演出をした作品はこれのみのはず。どれも楽しかった思い出しかない。
今回のタイトルは、この作品に登場する3年生のモチヅキタエ(前部長)が、昔付き合っていた先輩のタキグチ相手に吠える台詞です。

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