「月ノ光」は手と指によって語られる? 活動の記憶㊲2021.07.26
オリンピックが始まったけれど、多分観客の声援がないからだろう、見ててももうひとつ気分が高揚しない。柔道の阿部兄妹が揃って金メダルをとっても、「へー、やったねえ」くらい。やっぱりさらに一年延期すべきだったのでは? と考えると、観客数を制限して上演したキノGー7の公演も、もっと客が入っていたら芝居自体ももっと上級のものになったはずと思える。残念。
さて、本題。前回書いたように、「月ノ光」は池内紀の「恋文物語」から想を得たもので、「プラハの殺人者~」の主役(?)、7人殺しの男が恋人に書いた手紙について、アレコレ書かれた最後に、彼が住んでいた<錬金術師通り>には、同時期、カフカも住んでいたことが書かれていて、そこから「月ノ光」は構想されたのだ。当初は、作家Kが市内で起こっている連続殺人事件の犯人を推理する話を考えたのだが、作家というと、部屋に籠って原稿を書きつつ、或いは書けなくて …なんてことになって、そんな芝居は見たくもないとわたしは考え、Kは手品師にして、なおかつ彼は異常なほど物忘れが激しい男とする。この設定はどこから生まれたのか不明。連続殺人犯は彼の隣の部屋に住む男で、「普通に働いたら一日が二十五時間あったってこなしきれないほどのノルマ」があるセールスマンのグラックス。単純化すれば、その鬱屈の日々が彼に殺人に駆り立てたとも言えよう。劇は、トランプを弄びながらのKのモノローグから始まる。Kの部屋。夜。ソファーにはグラックスが横になっている。Kによって語られる話はは、カフカの短編数編をシャッフルしたKの夢の断片である。
小説だけでなく、カフカの日記や手紙等、あるいは、カフカについて書かれた評論等々、かなり読み、そしてこれはと思った言葉・事柄を書き留めたノートは、確か2冊ほどになったはず。いや、ノートに書き留めたのはカフカ関連のみではなかった。広岡さんが演じた俳優志望のグレーテは映画好きで、1920年頃の映画をこれでもかとばかり語るのだが、その内容は、淀川長治、蓮見重彦、山田宏一が映画についてウンチクを語り合う「映画千夜一夜」からのいただきである。はっきり覚えてはいないが、そのノートを読みながら、このくだりを戯曲に書き入れるためには、人物の設定、物語の進行方向をどうしたらいいかと考えたのだと思う。
稽古始めには多分、全体の3分の一か4分の一くらいしかなかったはずだが、稽古をしながら結構スラスラと書き上げられたのは、出演者たちからの刺激が大きかったからだ。稽古半ばの時点でホンは出来上がったのだが、そうだ、出来上がって演出に専念できるようになった時、この劇で語られる台詞は、声だけでなく、主演者諸氏の手と指も何事かを雄弁に語っていることを発見❣ おそらく諸氏にその意識はなかったかと思われるが、彼らにこのことを伝えてから、これはわたしの勝手な思い込みかもしれないが、台詞で語られていること、例えば、Kはグラックスとなぜそんなに親密になったのか、愛人・レインはなぜ銀行の支店長である夫を捨ててKのもとに走ったのか、刑事・ウルームフェルトはなぜグレートに恋心を抱いたのか等々、少なからずの観客には、台詞を聴いてるだけでは分からないけど、彼らを見ているとなんとなく前述のことがすんなりと受け入れることが出来たのではなかったろうか。例えばラストシーン。Kの部屋にやって来たグラックスにKは大事なことを思い出したといい、それはなにかと問われると、Kは、「俺は死んでたんだ。それをずっと忘れていたのさ」と答え、ふたりは声を合わせて笑い、そして、グラックスは「もうお別れだ」と言ってピストルを抜き、二言三言ことばを交し合って後、グラックスはいきなりKを撃つ。と、中天に月が出る
「月ノ光」についてはまだまだ書きたいことは多々あるが、とりあえずはこれくらいでピリオドを打とう。