竹内銃一郎のキノG語録

爽快な夏の日々 「坂の上の家」1995年7月上演 活動の記憶㊳2021.07.30

ここに来て、新コロ感染者がガツンガツンと増えだした。来週中には、首都圏の一都三県の感染者数はおそらく計1万を超え、関西圏も合計5千人に達するのではないか。エライコッチャ。という話は置いといて。
95年の第二弾は、7月上演の「坂の上の家」の演出。この作品は、前年から始まったOMS戯曲賞第一回目の受賞作で、わたしも選考委員のひとりだった。受賞作は翌年にOMSプロデュースにより扇町ミュージアムスクエアで上演されることが決まっていて、演出はわたしにというのは、この作品を書いた松田(正隆)くんからの要望があったからだと聞いた。彼は学生時代、わたしの「今は昔、栄養映画館」に出演したことがあったらしい。
この戯曲は、この前々年に(多分)、松田くんが主宰していた時空劇場で上演されていて、稽古in前に彼からその舞台を撮ったビデオを借りて見たのだが、わたしの戯曲の読解とはかなり隔たりがあった。わたしは滑稽と悲哀の混じり具合がとてもいいと思い、選考会議では文句なしの一等賞としてこの作品を推したのだが、彼が演出した舞台は、わたしの目には生真面目でシミジミし過ぎているように映った。
長崎の坂の上に建つ家が舞台。登場人物は、5年前に洪水で両親を亡くした、兄弟妹の3きょうだいと、彼らの父親の弟である叔父さん、兄が結婚を望んでいる女性の5人で、場面はすべて彼らが住む家の居間のみ。物語は、夏の日の早朝、昇り始めた朝日を眺める高校生の妹のところに、浪人中の弟が顔を出すところから始まり、役所で働く兄を含めた3人の朝食、その日の夜、兄の恋人も加わった4人の夕食シーン、数日後の3人の昼食、お盆にやってきた叔父さんを含めた夕食、そして、弟と妹の朝食がラストシーンと、とにかく食事シーン横溢から成り立っている。戯曲を読んだ時には気づかなかったが、この驚くべき構成に、演出家としてのわたしは大いに気をそそられたのだが、このことに作者がどこまで意識的だったのだろう?
キャスティングは、叔父役以外は、すべてオーディションで決める。応募人数は200人ほどで、男女の割合は3・7、いや、2・8くらい? とにかく大半が女性だった。長男に選んだ保、次男役の水沼には、これを機に以後、何度かわたしの芝居に出演してもらうことになる。恋人役に選んだ城之内さんは、アレはどこだったか、とにかく名の知れた会社で働いていて、会社の有休が沢山残っているので、稽古にはどれだけでも参加できます、というので選んだのかな? 妹の直子役に選んだのは、当時、大阪芸大に在学中だった仁順(ホン・インスン)さん。直子は前述したようにまだ高校生なのだが、母亡き後、家事全般を引き受け、優柔不断の兄たちを叱咤激励する、二人にとっては母親的存在であり、かつ、時には少女のような言動をするので兄たちにほっておけないと思わせる、極めて魅力的な役柄だった。応募者が圧倒的に多かったのはこの役で、一日では決められず、3人だけを選んで翌日、今度は演技を見せてもらうというより、それぞれ個別に10~20分ほど雑談をする。この数年後、さいたま芸術劇場で再演した「ひまわり」に出演してもらった旗島さんは、劇団四季の入団試験(?)に合格してるというので、だったらそっちに行った方がいいよということになり、もうひとりは何度かTVに出ているというきれいで聡明なな女子だったが、受け答えのソツのなさが逆に物足りなく感じて、結局、ほとんど演劇経験のなかった洪さんに決める。この子はもしかすると、この芝居の出演をきっかけに大阪のNHKが制作する朝ドラの主役になれるかも? という大物感(!)があったからだ。実際、この公演の翌年だったか、鈴江くんが書いたコクーン戯曲賞受賞作の主役に彼女は抜擢され、その後、主役の友達役として朝ドラにも出演したのだった。出演者のもうひとり、彼らの叔父さん役は、演出依頼があった時点で、桃の会のメンバーだった小田さんに決めていた。長崎出身者だからということもあったが、まだ若い他メンバーに、年長者でありながらそのキャリアを裏切るような、いい意味でうぶなところがある彼が加われば、まさに鬼に金棒だと思ったからである。(この稿、次回に続く)

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