思い出ぼろぼろ 映画3本見て幾度も涙した昨日2021.11.23
昨日は終日雨。散歩に出かけるわけにはいかず、今週中に書き上げなくてはいけない、来年1月半ばに刊行予定の「竹内銃一郎集成② カップルズ」のあとがき、一応書き上げてはみたものの、イマイチ納得がいかない出来で、しかしどこをどう書き換えればいいのか分からずイライラ。というわけで、映画を見ることにする。今月初めに京都みなみ会館で始まった「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティヴ」、上演される10本のうち6本は見ているし、家にDVDもあるので、残り4本は見ようと二度出かけたのだが、これまたイマイチで。家には約1000枚ほどのDVDがあり、そのうち8割が映画で、他の2割は、落語・漫才、それに吉本新喜劇等のお笑い系、「新日本風土記」「ワイルドライフ」等のドキュメンタリーである。その1000枚余のうち、おそらく70~80枚ほどは未見なのでそれを見ようと本棚から何枚か取り出したのだが、もうひとつその気になれず、というわけで、以下の3枚を選んだ。
「野菊の如き君なりき」(監督木下恵介)、「関の弥太っぺ」(監督山下耕作、「母を求める子等」(監督清水宏)。これらを選んだ理由はずばり「泣ける映画」だからだ。何故? 泣きたいのです、いまわたくしは。何故? このところその種の作品、出来事にしばらくお目にかかったことがないからなのです。まあ、オリックスvsヤクルトの日本シリーズの1,2戦のTV中継にはちょっと興奮しましたが。
「野菊の如き~」は数度見ている。最初に見たのはいつだったのか。中学時代に原作を読んで感動し、多分、学生時代に名画座のどこかで初めてこれを見たのだ。笠智衆演じる主人公が、数十年ぶりに自らの田舎を訪ね、懐かしくも切ない<お小夜と自分のアレコレ>を振り返り …というストーリーだが、思い出の部分を楕円形の枠内に描くというスタイルがなんとなくなじめず。しかし、二度三度と見るうちに小説の感動が蘇り、なんといっても、いとこ同志の15歳だった主人公・政夫15歳と民子17歳との純な恋心が周囲に認められず、民子は結婚して間もなく妊娠するも流産、それが原因で亡くなってしまう、遅ればせながら母からの電報で政夫が田舎に帰ると …。幾度も号泣を繰り返す彼がもう可哀そうで可哀そうで、わたしも久しぶりにボロボロと泣きました。
「関の弥太っぺ」はおそらくわたしのいちばん好きな映画で、自作の「劇薬」及び「風立ちぬ」は、この映画をベースに書き上げているし、このブログにも繰り返し取り上げているのでもう書き加えることもないのだが、やっぱりラスト近く。10年前に自分を助けてくれた弥太郎に会ってお礼をと思っていたお小夜は、しかし彼に会ってもこのひとが「あのひと」だと分からず、しかし、彼が帰ろうとすると彼女は追いかけ、芙蓉(むくげ?)の花が咲き誇る垣根を挟んで「これからどこへ?」と聞くと、「妹のところに行けたら」と弥太郎は答える、両親を亡くし数年ふたりだけで暮らし、彼の生き甲斐だった妹はすでに亡くなっているのだ、そして、「わたし、あなたの妹になりたい」とお小夜が言うと、わたしが知る限り最高の殺し文句「この娑婆にゃー、つれえーこと、悲しいことがたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃー明日になる…」と、以前に、父が殺されたことを知らない彼女を弥太郎が励ますために語った言葉を再度ここで言うと、お小夜はハタと驚き、更に弥太が夕焼け空を見上げながら、前述の台詞に続いて語った言葉「ああ、明日も晴れるか」を聞いて小夜は、彼があの時の彼だったのだと気づいて、足早に去る弥太っぺを追うのだが …、ここです、ここ、わたしだけでなく数多のひとがここでのやりとりをを見て泣くのです、ハラハラ、或いは、ボロボロと。でも(?)、お小夜は10歳の役をやった少女の方が20歳の役をやった十朱幸代より断然いいってことを再確認。少女の方がとても控えめでなおかつ知的に見えるのですよ。
さて、見終わったあとに、「これは初めて見る映画だ」と気がついた「母を求める~」は改めて書くことにして …