竹内銃一郎のキノG語録

「私は心もとなく闇の中を歩き始める」 byビクトル・エリセ2021.12.17

久しぶりに蓮見重彦著「光をめぐって」を読む。巻末に1991年8月20日 初版第一冊発行とあり、てことは久しぶりも久しぶり、目にしたのはおそらく30年ぶりであろう。中身は、1980年代後半の世界映画界のトップランナーであった8人の監督に蓮見氏がインタビューしたもので、なぜこの本を久しぶりにと思ったかといえば、昨日初めて見て陶然となった「エル・スール」の監督、ビクトル・エリセへのインタビューを読み返そうと思ったからである。
V・エリセはわたしの大好きな「ミツバチのささやき」(1973年公開)の監督で、これは「ミツバチ~」から10年後に作られた彼の2作目。「エル・スール」はずいぶん前にNHK・BSで放映されたものをDVDにとっておいたのだが、昨日まで見ずにいた。なぜ? 分からない。
主人公のエストレーリアのモノローグとともに物語は進行する。以下は「映画com」からの引用。
1957年、ある秋の日の朝、枕の下に父アグスティンの振り子を見つけた15歳の少女エストレーリアは、父がもう帰ってこないことを予感する。そこから少女は父と一緒に過ごした日々を、内戦にとらわれたスペインや、南の街から北の地へと引っ越した家族など過去を回想する。
「ミツバチのささやき」も5,6歳と思われる可愛い少女が主人公だが、「エル・スール」も語られる7割ほどは8歳のエストレーリアが核となっている。これを見る前、わけもなくわたしは勝手に、「ミツバチ~」の主役を演じた少女が、こっちの映画でも主役を演じていると思っていたがそうではなく。そうではないのだが、なんとなくふたりは似ている、そこがまずいい。それはそれとして。とにかく全編緻密。ムダなシーン・カットがひとつとしてなく、だからといって緊張を強いられることはない。こんな映画を見た記憶がない。
8歳になった彼女は、母親、及び父の故郷からやってきた父の母親、父の育ての親等に見守られながら、土地の教会で初聖体拝領の儀で洗礼を受けるのだが、このシーンの素晴らしさといったら …!。暗闇の中に、聖壇に立つ神父(?)を中心にした教会全体がゆっくり浮かび上がるところから始まり、ベンチに座るひとびとの中に前述の母親やおばあちゃん等がいて、それとは別の列の席にエストレーリアと彼女と同年齢とおぼしき少年少女が並んで座っていて、そこからひとりづつ起ち上がり、神父から小さくて平たいパン(聖体?)を舌の上に乗せてもらい …。この一連のカットの照明の具合がなんとも神聖で美しく、わたしの心はすっかり疼いてしまい …。このシーンの前に、無神論者である少女の父が、教会から少し離れた小山に立ち空に向かって猟銃を数発撃ち放つシーンがあり、前述の儀礼シーンのあと、教会内に楽し気な音楽が流れ出し、それにあわせて男女が抱き合って踊り、そこへ少女の父が現れて、彼女は父と踊り始める。彼女とそして父親が楽し気になるのはおそらくこのシーンだけで、見終わってまず思い出したのはこのシーンだった。(以下は次回に)

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