竹内銃一郎のキノG語録

嗚呼! 今年の始まりはガックリガクガク2022.01.06

昨日5日のJRA初日はわたしにとっては<真の正月>だったのだが、的中ナシで惨敗でガックリ⤵ 
Amazonから昨日送られてきた蓮見重彦の「見るレッスン」を読む。副題を「映画史特別講義」というのだが、氏の本は去年の暮れ、20年ぶりに「光をめぐって」を読んでやっぱり刺激的だと思い、わたしにとって氏からの影響は、大和屋さんからのそれと同じくらいに大きいことを改めて確認したのだったが、一昨年の暮れに出版されたらしいこの本はわたしの期待に反して、ナントモカトモだった。
2時間ほどで読み終えてしまったのは中身を薄っぺらく感じてしまったからだろう。とりわけ、「日本映画 第三の黄金期」と題された第二講では、濱口竜介、三宅唱、鈴木卓爾、等の若い監督たちの映画の素晴らしさが語られているのだが、濱口の「ハッピーアワー」「寝ても覚めても」、三宅の「きみの鳥はうたえる」「密使と番人」、鈴木の「嵐電」等はわたし、見ようとしたが始まって10分ほどであまりの退屈さに呆れて録画を消してしまったのだった。大学で氏の講義を受けていた黒沢清を特別扱いしていることから、前述の若手監督はいずれも氏と密な関係があるのだろう、だからだとわたしは勘ぐってしまった。このブログでも書いたかと思うけれど、ヴェネツィアで賞を貰った黒沢の「スパイの妻」はとても佳作とは思えず、彼の作品でわたしが面白いと思ったのは「神田川淫乱戦争」(1983)、わたしの芝居にも出演してもらったことがある中川安奈さん、戸田昌宏くんも出ている「CURE」(1997)、それに「トウキョウソナタ」(2008)くらいで、ここ10年の作品は、全部見ているわけではないが、さほどの面白さもない。氏が彼らを称賛するのは、単に彼らが「教え子」であるからだけではなく、ここ10年20年のこの国の映画状況が、観客押し寄せるジブリ等のアニメを除けば、観客が集まらないという苦しい現状をなんとかせねばと考えていることもあるだろうし、また去年のこのブログでわたしが絶賛した田中征爾の「メランコリック」や、この10年「悲しき玩具」「となりの芝は …」等の快作を次々と発表した城定秀夫などの映画は見てはいないから、安易に(?)黒沢等の「教え子」を持ち上げられるのだろう、嗚呼!
お笑い番組も去年のM1同様、ほとんど退屈で笑えず。ミルクボーイに退屈さを感じないのは、彼らが常に新作を作っているからだ。ちょっと売れると大半の若手たちは新作作りを怠って、旧作を繰り返し、それらは確かに昔は面白かったのだが、おそらく演じる当人たちが飽きているのだろう、好きだったかまいたちの漫才・コントなどもクスリとも出来なかった。だから霜降り明星などにも「東京へ行くな」と言ったんだ、嗚呼!
去年の11月に入ってからだったか、京都駅、四条河原町、嵐山観月橋等々の観光地、日に日に人出が増えて、こりょまたコロナちゃんが増えだすゾと思っていたがさほどのことはなく、ガツンガツンと感染者が増えている諸外国に比べ、外出時に限れば100%に近い人々がマスクをしている日本だから? と思っていたが、やっぱりここに来てドカンドカンと感染者数が。そりゃそうだわな、年末年始の京都観光地の人出が去年の2,30倍、一昨年前の80%くらいにはなっているのだもの。嫌だなあ、この調子が3月4月まで続いたら、5月の公演がまたまともに出来ないじゃないか、今年届いた年賀状の少なからずには、「5月のお芝居、京都まで見に行きます」と書かれていたのに、嗚呼!

一覧