ストーリーは単純なのに、この不謹慎な(❓)語り口は …❗「ピストルと少年」を見る。2022.03.19
一日中雨が降っていた昨日に続き、今日も午後から雨が降り、そして早春とは思えない終日の寒さ。うーん、これでは新コロ感染者数もなかなか減りそうにないな、yadayada😒😒😒
昨日の13時、伏見桃山でわたしの74年の人生では最大の買い物をする。なにを買った? とりあえずいまは書かない。それで(?)午前中の時間をどう過ごしたらいいか決めかね、とりあえず時間つぶしにと、録画していた映画「ピストルと少年」を見る。監督のJ・ドワイヨンの作品は2,3度見ているはずだが、どれも途中で見るのを放棄している、要するにわたしの好みではない監督の作品だから、本来なら見ることはないのだが、なのに録画しておいたのは、ペレイラから彼の劇団「プロトテアトル」の今年の11月公演用の新作戯曲を依頼され、その作品のタイトルを(あくまでとりあえずなのだが)、「つみれとバクダン BangBang」とし、バクダン=ピストルをめぐる話にしようと思っているからだった。正直、少々の期待感しかなかったのだが、これが想像以上の傑作で😍😍😍‼
「今年の11月に1人の少年が30分間にわたって刑事を人質に取った実話から着想を得た作品で、刑事を人質に取って姉捜しのドライブへと出発した少年を描いている」
上記はwikにあった「ピストルと少年」(1990年公開)のあらすじだが、これはいささか不正確というか不誠実というか。人質とは、身代金をとるためにひとを誘拐・監禁するという意味のはずだが、少年はそんなことのためにピストルを使って刑事の車に乗り込んだわけではない。会ったことのない姉に会うには、たまたま路上で声をかけられた顔見知りの刑事に、姉の居所を突きとめてもらい、彼の車で連れていってほしいと思ったからだ。
上映時間100分のうち80分強は、少年と刑事と少年の姉の3人の他は画面内にいない。登場人物は他に、毎日浴びるように酒を飲んでいるらしい少年の母、少年の友だち(ひとり)、彼が通ってる中学の女性教員、校長、少年が盗みで入ったドラッグストア(?)の女子従業員、刑事の仲間、それに路上のシーンに映る通行人くらい。こういう<ひと気のない映画>をわたしは他に知らない。
少年は自分に姉がいることを知ってはいたが、ずっと以前に亡くなったと母から聞いていた。その存在しないはずの姉から家に電話がかかってきて、電話をとった少年に姉は「母を出して」と言うのだが …。この映画が特異なのは、上記した3人の言動がどこまで切実なものか、この映画を繰り返し二度見たわたしにも、おそらく当人たちにもよく分からないようなところだ。少年に銃口を向けられ、姉が住む町まで彼を車で連れて行くよう頼まれた刑事は、彼らの住む町から姉の住む町に入るところで、ここからは自分の管轄外だから行けないと言うのだが、それに対する少年の抵抗に、まるで「ただ言ってみただけ」だったように、すんなり車を先に進めるとか。姉の住む家を見つけ、少年は自らを名乗り、母の現状を伝えると、姉は彼に「出て行け!」と乱暴に追い出し、部屋から出て来た少年に代って刑事が入って二言三言、話をするのだが、彼も彼女に部屋から叩き出される。しょうがないなとふたりが車に向かうと、姉は「母親に会いたい」とふたりと一緒に車に乗り込み、おそらく数時間であろう3人の道行き(?)はここから始まる。
3人の中では少年がいちばんの<お喋り>で、母のこと、学校でのこと等、語られる内容はかなり辛いはずのことなのだが、どこか他人事のようにペラペラと語る。それを聞くわたし(達)には、それがどこまで本当で切実な告白なのかはもちろん分からないのだが、おそらく語っている彼自身にもそれは分かっていないのだ、多分、だから深刻なことなのに屈託なく語ることが出来るのだ。通常の映画だの芝居だのではあまり見たことのない、この<表現方法>が、ガッツリとわたしのハートを鷲づかんだのである。