竹内銃一郎のキノG語録

18,19日の公演中止から派生した、忘れられない思い出の幾つか2022.05.13

ようやく公演可能となった。いや、今日明日なにが起こるかは誰にも分からないのだが …。
今週月曜の朝、藤原くんから「新コロくん」になったことを知らされ、これから10日間、19日まで外出できないと分かって呆然😵‍💫。すぐに藤原くんの代役を出来る者はいないかと考えたが、まったく思い浮かばず。以前にも書いたが、前回公演「恋愛日記 ’86春」で彼の演技に初めて触れて仰天😍、こんなに出来る男優はなかなかいないゾと思い、今回の「モナ美」も、彼の出演を前提に考えたものだった。先々週に佐野さん夫妻が稽古を見に来て、終わった後、3人で久しぶりに一献していた時、「漆原、その他の役をやっていた彼の評価は?」と聞いたら、「わたしたちの所属している事務所に彼が来れば、間違いなく仕事のオファーがあるはず」と断言。このことを彼に話したら「いやあ、それはちょっと …」と返答。多分、幼いひとり息子を抱えての東京移転は難しいということなのだろう。そんな彼の不在で公演が出来るのか? と不安を抱えながら月曜、わたしも含めて出演者・スタッフ皆PCR検査をして、翌日の午前中には陰性であることが分かり、早速稽古再開。昨日は、演出助手を引き受けてくれた権田くんに藤原くんの代役をお願いし、全8Sのうち、藤原くんの出番が多いS3,S5を除く6シーンの稽古をする。当然のことながら少なからずの不安はあったが、以外にも(⁉)結構な面白さ。何回かストップをかけて同じシーンを繰り返したが、ここに藤原くんが加われば相当面白くなるのは間違いなしと思った✌️✌️✌️
昨日の午前中、原ようじ(本名:園原洋二)から郵送されてきた大きなモノ、今朝、開いてみたら彼の「時間への加筆」という作品だった。
彼は、斜光社公演「SF大畳談」(再演1979年)から秘法4番館公演「かきに赤い花咲くいつかのあの家」(1983年)まで、全11本のチラシ・ポスターを制作してくれた、わたしにとっては忘れられない若者のひとり。といっても、知り合った時には学生だったが、あれから40数年経っているからもう60を幾つか過ぎてる叔父さんだ。長いこと会っていないから(40数年)、今回京都まで芝居を見にくると年賀状に書かれてあったので楽しみにしていたのだが、体調が悪いとかでそれを断念し、その代わりにと彼の作品を送ってくれたのだ。前述した11本の中の一本、戯曲が書けなくて公演中止となった「夢みる、力」がわたしのもっとも好きな彼の作品😿😿😿
18日(水)19日(木)の公演が中止になった関係で来られなくなったひとりに、秘法の初期に在籍していた関根(現姓 中江)さんがいる。前述した園原くんのチラシを見て思い出した、彼女の芸名は大関則子。多分、彼女は小柄だったのでわたしが命名したのだ、すっかり忘れてた。いまも忘れられない彼女に関する思い出が。「戸惑いの午后の惨事」の名古屋公演の時だ。稽古が終わった夜、彼女は銭湯に行って、そこで出会った見知らぬひとに、公演チケットを何枚か売って来たのだ。俳優としても愛嬌たっぷりで悪くなかったが、彼女が制作を引き受けてくれたら、と思ったものだ。
でも、土曜の昼に来てくれる大矢さんと会うのは多分20年ぶりだし、この回には柴部くんと彼のいとこの高月くんがやって来る。このふたりとは約50年ぶりの再会となる‼️ 高校で一年後輩だった柴部くんは当時同志社の学生で、わたしは京都を舞台にしたシナリオを書くため、約一か月間、彼の住まいに居候。その時に紹介してもらった高月くんと3人で、いろんな悪ふざけをしたものだ。八坂神社に行って夜、3人でラジオ番組の制作者を自称して、何人かの若い女性にマイク片手に京都に関するアレコレを聞いたりとか、昼、路上に座って膝前にカンカンを置いて、乞食の真似ごとをしたりとか、等々。毎日毎時間、記憶が薄れていく現在のわたしでも、これまた忘れられない思い出だ。沖縄出身の高月くんは現在大阪在住らしいが、これは以前にも書いたか、柴部くんは福島から来るのだ、🤪🤪🤪嗚呼‼️

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