竹内銃一郎のキノG語録

「おみおくりの作法」について③ こんな映画がこれまであっただろうか😱2022.08.08

今朝、また「おみおくりの作法」を見る。前回に書いた「結」のところだけをと思っていたのだが、早回しではあったが結局、全部見てしまう😮😮😮
同じ映画を連日のように何度も見たのは久しぶりだ。小津の「東京物語」「晩春」、そして、中村錦之助主演で山下耕作が監督の「関の弥太っぺ」は多分10回以上見ているはずだが、それは戯曲を書くための参考資料としたからでもあったのだ。しかし、今回の「おみおくり~」は …❓
原題は「Still Life」といい、辞書で調べると「静物(画)」という意味らしいが、stillは、「静かに。動かずに」等の意味があり、lifeは「生命。生活」その他の意味があるから、このタイトルの意味を、「静かな生活」だと受け取れば、「なるほど」と思える。それにしても、今朝見て改めて確認したのだが、作品全体のおそらく90%以上のカットにジョンが映っているのだ。こんな映画がこれまであっただろうか😱😱😱
前にも書いたが、役所の個室や自らの家での仕事ぶり、教会での式の参列、そして、彼が鞄を手にして歩くカット等は繰り返しあるのだが、何度見ても飽きることはなく、それが最後の「結」部分に入ると、更に印象的なカットを見せてくれるのだ。例えば、
彼にとって<最後の送りびと>となるビリー・トークの娘・メアリーの仕事場(犬のシェルター)から、彼女の家まで帰る車内で、運転しながら父との<不愉快な記憶>を語る彼女の言葉に、隣席に座る彼は、いちいちうなずきながら、「なるほど」「分かります」等々の短い一言を、時には彼女を見、時には車外の風景を見ながら頷くのだが、その表情から彼の感情の揺れ動きは悟れない。それがジョン・メイを演じるエディ・マーサンの俳優としての力量の高さと、そして監督・ウベルト・パゾリーニの<自ら作品に対する冷静さ>を感じさせてくれるのだ。
あれは彼の最後の仕事の前日だろうか、前述のメアリーから思いもよらぬ電話がかかってくる。父の葬式に参列すること、更にはその後のデートの申し出までも。そして、すでに書いたように、ジョンはメアリーへの贈り物を買って店から出たところで、車にはねられ亡くなるのだが、最後の葬儀のシーンが …😔
参列者がひとりとしていないジョンの式が終わり、彼の遺体が入った棺は車に乗せられて埋葬される墓地に向かう。その墓地では、あのビリー・ストークの棺が、ジョンが<会ったこともない死者=ビリー>に譲った土地に置かれ、その周りには、娘のメアリーをはじめとして、ジョンに参列を誘われた人々20人ばかりが集まり、穴に入れられた棺に土を蒔いている。メアリーが時々、あたりを見回しているのは、「どうしてジョンは来ないの?」と不思議(それとも不安?)に思っているからだ。そこから20数メートル(?)離れた道を、ジョンの棺を乗せた車がゆっくり走っていき …。メアリーたちは互いに話し合い、涙を流しながら帰っていく、メアリーは時々辺りを見回しながら🤒
カットが変わると、ジョンの棺が地中に埋められ、その仕事を終えたふたりの男は去っていく。辺りにはもうだ誰もいない。この墓地のシーンはおそらく午前中に始まっているかと思われるが、すでにもう夕方近くになったのだろう、少し薄暗くなる。すると、木々が生えている正面の向こうからひとり、老人らしき男がジョンの墓地に向かってゆっくり歩いてくる。と、右から左からあっちからこっちから、亡きジョンのところに凡そ50人ほどが集まってくる。彼・彼女らは、いうまでもなく、自分たちの葬儀のために仕事をまっとうしてくれた、ジョンにお礼を言うためにやってきたのだ。この最後の中の最後、ジョン・メイの顔も姿も見られないシーンに、わたし、またハラハラと泣きました🤒🤒🤒

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