竹内銃一郎のキノG語録

思わぬ邪魔者のために、「悲しき玩具」の執筆が …😿2022.12.04

12月に入った途端に寒さ到来。先月から天気予報で語られていたことだが、厳しい~😱
このブログを書くのは約3週間ぶりになるのだが、長らくのご無沙汰になった理由の第一は、ぺライラに頼まれている戯曲の執筆がなかなか進行しないからだ。いま確認したのだが、依頼されている戯曲については前々回のブログに書いているが、その時点での構想とはかなり変わってきている。
前々回のブログには、宮沢賢治の「風の又三郎」を下敷きにと書いているが、とりあえず今日、プロローグ+S1を書き上げたものは、主人公のロケ・コーディネーターの名前が、「風の又三郎」の主人公と同じであること以外はなにもなく、話の進行を担っている(?)のは、新美南吉の「花をうめる」に変わっている。
「風の又三郎」のほかに、子どもたちが主役の映画や小説はなかったかと考え、「花をうめる」が思い浮かび、久しぶりに読んだら、「こ、これは使えるゾ😍」とビビッときたのだ。
ご存じの方はご存じのように👻南吉はわたしが生まれた半田市の出身で、これも以前のブログに書いた覚えがあるが、わたしが幼稚園に入る前の半年近く、家を出て😮半年ほど住んでいた岩滑が彼の生まれ故郷なのであり、更に、小学4年生の時、担任だった杉浦先生に南吉の童話を教えてもらい、彼の代表作のひとつ「ごんぎつね」をわたしは劇化し、クラスメート数人を使って演出し、主役を演じたことがある。
「花をうめる」は高校生か、あるいは大学に入ってからであったか、短編というにはあまりに短い小説だが、南吉自身と思われる小学生の淡い恋心を裏切られる話で、50年近く経ってもうっすらと存在を覚えていたのだ。
書き出して、平均すると一日5~6行しか進まないという苦闘が続いたが、ようやくS1の最後になった頃に、思わぬ事件が😱
先月の最終週の始めのことである。現在の伏見のマンションに引っ越して、TVやPC、プリンター等の配線をいつも頼んでいる某社に今回もお願いしたのだが、一週間後であったか、電話のベルがおかしな音になっていて、子機がつながらないことに気づいたのだが、部屋の整理に追われていたので、しばらくそのままにしていた。ようやく<住める家>になったのが、今から二週間ほど前。同社に「電話に故障が …」と伝えたら、その数日後に以前とは別の作業員が我が家に来て、親機が電源とつながっていないことを発見。そのつなぎのアフターケーブルがなくなっていたのだ😮。引っ越して翌々日に来た同社の作業員は、すべての作業が終わった後、女房が、山のように置かれている数多のコードを捨てていいかと聞いたら、OKとは言わなかったが、捨てない方がいいとは言わず、なのでそのコードの山はゴミで捨てたのだが、間違いなくそのゴミの中にアフターケーブルはあったのだ。コードがないことを発見した作業員に聞くと、コードは2~3千円はすると言った。それでその翌日であったか、同社に電話をかけて、お宅の作業員のミスなのでなんとかしてほしいと言うと、むにゃむにゃとした返答。「コードが数百円ならうちで買うが、2~3千円をどうしてうちがアフターケーブル👺ときつい口調で言ったら、4,5日うちにはご返事するとの返答をしたのだが、約束の期日を過ぎてもうんともすんとも言ってこない。だから、また電話して「いったいどうなってんだ🤬🤬!」と怒鳴ると …
結局、10数回のしょうもない電話のやりとりをして、そのたびに同じ話の繰り返し、その日の20時過ぎにわが家に来てくれた関連の部長クラス(推定)が、親機のすぐ近くにコードを発見し、問題は解決したのだが …。
あんなこんなでわたしはすっかり疲れ、このことが執筆の悪作用になったのでした。ふー😿😿😿

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