普通の芝居や映画を見るときとは違う脳の部分を直撃するようだ。岩松さんの「国民傘」を見る2011.01.26
タイトルがいい。「国民傘」。なんのことやら?だけど、なにやら不穏な空気感が漂ってる。そこがいい。
三つの話が提示され、それらがときに重なりながら、物語は進行する。
ひとつひとつの話には、多くの岩松作品がそうであるように、それぞれ肝心なところ(?)が伏せられているから、とてもメンド臭い。ジリジリする前半。が、休憩を挟んで後半に入ると一転、もつれた糸が解きほぐされることはないのだが、からまった毛糸が球になって転がりだすよう、とでも言えばいいのか、場面転換が加速され、その訳の分からなさが「官能の世界」に誘う。
岩松さんの芝居は、普通の芝居や映画を見るときとは違う脳の部分を直撃するようだ。
ラスト近く、ある有名な映画のワンシーンが引用されている。そのあまりの強引さと大胆さに笑う。
「成熟がなんだ」とは、わたしの好きな谷川雁の詩の一節だが、岩松さんの最近の芝居を見るたび、この言葉を思い出す。どこか<佳品>の趣のあった竹中直人の会の作品よりも、「劇の重さ」を感じさせるいまの方が、わたしはずっと好き。刺激を受ける。
これを見たのが先週の土曜で、その前日に、専攻の2年生の発表会を見た。演目は、「カガクスルココロ」(作・平田オリザ)。学生たちは思いのほかよくやってる、と思ったけれど、途中で見続けるのがメンドーになった。
なぜ? 台本が死ぬほど退屈。ドーーーでもいい話。作家はそれが狙いだと言いたげで、それがまた腹立たしい。
なめてるんだろうな、このオリザなるひとは。なにを? 演劇も社会も人間も歴史も、なにもかも。
岩松さんに多大な影響を受けたって言ってるんだけど、ハア? 通俗的なたとえで気恥ずかしいが、おたく草食系でしょ。岩松さんは、一日三食365日、ずっと肉食ってて、それでもまだ足りないと言ってるようなひとですよ。多分、岩松さんの芝居も本も、ほとんど見たこともなければ読んだこともないのだろう、まともに。
久しぶりに競馬で大勝! デヴュー戦から狙い続けて3戦目。やっと仕留めたバシリコス。日曜の中山の未勝利戦 で16頭立ての後ろから数えて2、3番目というまったくの人気薄。まるでゴルゴ13にでもなったような。
これからはわたしのこと、スナイパー・竹内、もしくは、デューク・竹内と呼んで下さい。