竹内銃一郎のキノG語録

「キングオブコント」を見る。コントの定義は?2014.10.17

タイトル改修工事只今進行中。 誤字脱字を修正しようと思い、古い文章を読んでるうちに、「このタイトルで書いてる中身、想像できるか?」と気になって。自分でも分からないのだから他人が分かるわけないでしょと深く反省し、かくして、改修工事に取り掛かった訳です。

 

今年の「キングオブコント」の出場10組のうち、テレビで見たことがあるのは、ラバーボールとさらば青春の光、それに、3人組だったソーセージから不祥事を起こしたメンバーが抜けて二人になったアキナだけ。 コントは難しい。落語は座って話をするもの。漫才はセンターマイクを前にしての二人以上の立ち話。漫談は同じくセンターマイク前でのひとり喋りと、他の演芸は明快なスタイルがあるのに比べ、コントにはそれにあたるものがない。明快なスタイルとは制約・縛りでもあるから、コントはなにをやってもいい、だから自由だということになるが、この何をやってもいい自由さが、逆に手枷足枷になるのだ。例えば、枝雀さんのように座布団からはみ出して跳んだり跳ねたりすれば、少々大仰な表現になるが、とりあえず、その革新性が保証されるし、漫才もセンターマイクを無視して話をしたり、舞台上でふたり寝転がってやれば、これまた、とりあえず「野心的」の称号を頂ける。縛りがあるから新しい試みも出来るのだ。コントを見て、「あ、これは新しい、野心的だ」と思わせるのは、結局、ネタの新しさで、しかし、そうそう斬新なネタを次々と作り出せるわけもなく、長くは続かない。それが証拠に(?)、50を過ぎても「若手」と呼ばれる落語界はともかく、漫才なら50、60歳のコンビはいっぱいいるが、その歳までコントを続けてるコンビって、ほとんどいないでしょ。

 

それにしても。退屈さを競い合うようなコンテストだった。わたしなりのコンとの定義、つまり、他の演芸との大きな違いは、動き=体技で笑わせる、というもので、まあ、そのもっとも分かりやすい例が、コント55号なわけだけど。今年の出場者たち、動きで見せるギャグを繰り出すことがなく、だったら漫才でいいよね、と言いたくなるものばかり。ラバーボールはわたしが以前から好ましく思ってるコンビだが、やっぱり動きがないのがちょっと。もっと笑いをとれる方法はあるんだけど。さらば青春の光もそう、アキナもそう。他の論外な人々は手の施しようがないが、ああ、彼等には「こうすれば?」って教えてあげたい。

 

追記 動きで見せるコンビがひとつあった。一本目には結構笑った。原始時代なのか、未開の地なのか。とにかく、ひとりの男がいろんな動物を捕まえるという話。動物はコンビの片割れが演じる。動物もバカじゃないから同じ手は食わない。だから、ちょっとづつ方法を変えて捕まえるのだが、そのちょっとづつ変わるところが笑えるのだ。二本目は、音楽に合わせてふたりで体操のようなことをする。これも悪くないセンスだと思ったが展開力がなく、結果としては物足りないものに。ともに台詞がない。

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