竹内銃一郎のキノG語録

「シェリー」に泣いて…  「ジャージーボーイズ」を見る2014.10.18

繰り返し書いているように、わたしは音楽のことはほとんど無知に等しいが、「シェリー」という歌ならよく知っている。でも、わたしが知ってる、よく歌いもした「シェリー」は、この映画の主人公、ザ・フォーシーズンズではなく、日本のダニー・飯田とパラダイスキング(通称パラキン)が歌っていたものだ。ショートカットが可愛い九重佑三子がヴォーカルだった。

パンフによれば、「シェリー」が発売されるやアッという間にヒットチャート1位に駆け上がったのは1962年ということだから、多分、パラキンが歌って日本でヒットさせたのは翌年の63年だろう。わたしの高校入学の年だ。当時わたしが憧れていた坂本九はこのパラキンのヴォーカルで、彼が独り立ちして抜けたところに九重が入ったのだ。「シェリー」はてっきりパラキンのオリジナルだと思っていたから(訳詞がよく出来ていたのだ)、多分ラジオでだろう、本家本元の歌を耳にしたときは驚いた。とりわけ、歌いだしの部分をファルセットで歌うところまで、パラキンのオリジナルじゃないんだと分かったときは、がっガッカリし、わたしのパラキンに対する敬意もすっかり地におちてしまった。

因みに、当時の洋楽の大半は日本語で歌われていて、中には苦し紛れとしか思えない訳詞もあった。同じパラキンの「電話でキッス」。原語では、kiss on the phone と歌われているサビが、「キスなどポン」となっていた。訳詩が一掃されたのは、多分ビートルズの出現以降だ。日本語の「please please me」を聴いたことがあるような気もするが、まったく流行らなかった。

「シェリー」が歌われるのは映画の半ばに差しかかるあたりだったろうか。「シェリー シェリー ベイビー」という歌声を聴いた途端、ボロボロッと涙がこぼれた。それは前述したような私的事情や懐かしさが手伝ってのことでもあろうが、やっぱり、曲とそれを歌う4人組の歌声・ハーモニーの素晴らしさに、わたしはヤラレタのだ。

この映画の基になっている舞台がどんなものかは知らないし、ここで語られている物語が、どれほどザ・フォーシーズンズの史実に忠実なのかそうでないのかも分からない。でもこれは、笑っちゃうくらいアメリカ映画の王道を堂々と行く映画だ。前半は、かなりのワルだが音楽好きの若者達のサクセス・ストーリーが、後半は、頂上まで上り詰めた彼らが坂道を転がって行く様が描かれる。これは、「ミリオンダラーズベイビー」と同じ、というより、古き良きアメリカ映画では何度も繰り返されたストーリー構成だ。そんな言わば<定番>を、イーストウッドはなんの衒いもなく映画にして見せる。

でも、イーストウッドは紛れもない爺さんなのに、お洒落でお茶目で冒険家だ。舞台、あるいは、昔の映画ではフツーに使われていた手法を有効に使っていて、それがこの物語の時代を感じさせ、と同時に、定番的物語を定番的手法で脱臼させ、古いはずなのに新しさを感じさせる仕掛けになっているのだ。その手法がなんなのかは書かない。

ラストがまた泣かせる。グループが「ロックの殿堂」入りしたということで、そのお祝い(?)のために、メンバー全員が久しぶりに再会する。若かった彼等も、いまはみんな白髪だ。ああ、長い時間が過ぎたのだ。これだけでもわたしはかなりグッときてしまったが、イントロが流れ、いざステージで歌う段になるや、老齢と言っていい彼等がクルリと一回転すると、昔の若かりし頃の彼等に戻るのである。なんてことだ!

そしてフィナーレ。「舞妓はレディ」同様、出演者全員が、ギャングのボスも、金貸しのオヤジも、フランキーの別れた女房も愛人も亡くなった娘も、みんな登場して一緒になって歌い踊る。

夢のようだ。

ラストシーンでまた泣いた。

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